いまなんだかしあわせだなあと思っている。今の自分にとってこの生活が一番幸せなのかもしれない
だいたいいつでも「今が幸せだなあ」って思ってるんだけど。昔も楽しかったんだろうけど、今もしあわせ。
今日みたいな、たとえば午前中で帰ってきて、ずっとドラマをみたり、ご飯食べて、映画みてまたご飯食べるのとか、好きな時間にたらふく食べるのとか
今日は、出した卒論を先生がやっとみてくれて、指摘してくれた
自分で思っていたよりも進んだところに思考が進んでいたようで、思いっきり哲学をしていたみたいだった。言葉は調べて使わなくちゃいけなかったことを思い知りました。きちんと伝えるのには、伝わる言葉を使わないといけないな
合言葉じゃよのなか変わらないと思う
幸せって何だろうと思うけど、幸せだなって思ったら、それだ!それだよ!その気持ちを逃すな!!てことなんじゃないかと今は結論を出します。
仏教ファンという立ち位置に甘んじようかと思う
やはり、あのお坊さんの「さみしさ」インタビュー読んでから私はとても楽になった。
周りとうまくいかなくてさみしくなっても、いいんだよってわかったから。いままではそれを認めることできなくて、くやしくて絶望していた
ネガティブな気持ちになるとつかれる。怒るのもさみしいのも、不安も、絶望もたぶんストレス反応だから疲れるんだと思う。
でも、あれかも、さみしくても大丈夫って思えて、多少余裕ができて周りがみえるようになったら親友の存在を思い出して、親友がいるから当分は平気、ってわかった。
幸せを人に求めてると、だめじゃね、今気づいた。人、いつ死ぬか、いついなくなるかわからない。今ね「親友がいるから絶対一人にならない」って書こうとしたけど、絶対はないって思い出して、当分に書き換えた
かたちは変われど一緒にいるかもしれない、その可能性はあれど、決別してしまう可能性もあり。
自分の生きている間自分を満たすには、自分で何とかするしかないようだ。
親友の作り方
親友とけんかを何回かして、安定した関係に落ち着けたのは「一生いつでも味方」契約を結んだからだとおもう
これはどこの親友にも言えることではないから、あくまでも参考にしてくださいなんだけど。親友が悲しい時は絶対に慰めるし、気をまぎらすし、怒ってたら一緒に怒ってあげる。言われたら傷つく言葉は言わない。疲れてる時にいたわる。
気を使うのも、好きだから。気を使わない関係とか関係じゃなくね、破綻じゃねそれ。個人的に思う
最終的に、おたがいの優先順位一番になれたら、親友だといえる気がする
マザーウォーター見てるといっそうおだやかな気持ちになれるね