高橋優『リアルタイム・シンガー・ソングライター』
AWAを使っているのですが、このたび高橋優の配信がスタートした....朝から嬉しくて早速聞いている。
高橋優はね~高校生のときに助けてくれたなぁ、という思い出。大学はいってから熱心に追いかけなくなっちゃったんだけどずっと好き 知らないうちにバラエティとか出るめちゃ大物になっててホエーとおもっている。
実は初めて保護者なしの上京したとき、高橋優のライブに行ったんです。恵比寿、リキッドルーム。忘れない 、スピーカー近くにいたもんだから終始うるさくて、高2か高1で、ちょっと刺激が強い歌とか聞いてビックリしたり。
いま改めて聞いて、これ超良い曲やんて気づいたやつがあるのでそれを紹介します。
収録曲
- 終焉のディープキス
- 素晴らしき日常
- 福笑い
- メロディ
- 希望の歌
- 靴紐
- サンドイッチ
- ほんとのきもち
- 虹と記念日
- 現実という名の怪物と戦う者たち
- 少年であれ
言われてみてぇで溢れてる『虹と記念日』
高校生の時は恋愛したことがなかったので、なんにも響くもんがなかったんですが、すき恋人すき(好きサンドイッチしたいくらい好き)ができてみたらとっっても響きました。
この曲はあの高橋優なのに声もや~さし~いの。ギターのストロークがなんか安心する。
歌詞に虹が出てくるあたりでコーラスが入るのがすごく好き。
ただ隣に居てくれりゃいいよ
他になにも望んでいないよ
悩まないでおくれよ
昨日を後悔してしまうなら
とりあえず今を見つめてごらんよ
ほら笑ってごらんよ
形無いコトが
大事なんだって知ってても
僕ら触れられるものばかり探してる
「ただ隣に居てくれりゃいいよ」って言われたくないですか? 大人になってくると損得やギブアンドテイクの人間関係が当たり前だけど、こんなこといってくれる人が一人はいてもいいとおもう。
これもある意味では、隣にいてあげる⇔隣にいてあげるのギブアンドテイクかもしれない
究極!
明日君と駆け落ちするのも良い
二人だけで住むならどこがいい?
例えばの話だけど
君が望むならすぐ連れてくよ
今日という日はただの今日だけど
君が笑えば幸せになるよ
ありのまんまでいいのさ
居てくれるだけでいいから
顔見たら安心して泣いちゃうってことはあるけど、ほんとは恥ずかしいからあまり泣きたくない。でも好きな人の前で泣いちゃうくらい、耐えられない、悲しいことがあったら、、って考えた。
何も励ましの言葉をくれなくてもいい
存在を認めてもらえることの安心感。成果でも何でもなく、ここで隣で座ってればいいって。
通り雨の降り始めはいつも
突然世界に途方もない
影を落とすけれど
ちょっと雨宿りするような日々
それも悪くないと思うから
焦らないでいこうよ
"幸せとは何だろう"だなんて
頭で考え出せば底無しの藪の中
"雨"じゃなくて"通り雨"。災難が突然やって来ることの表現....。いつ終わるかわかんない、なんにもうまくいかないような日が続いたとしても、雨宿りするように動けない停滞したまいにちでも、やむまで待とう、雨の中カッパ着て無理して進むことないよ、ていう
なんて優しいんだろう
悩んでるときってどうにかしたくてもがいてしまって焦って空回りはあるある。私あるあるなのか、みなさんもそうなのかわからないけれど、そういうときにこういわれると落ち着く。私がダメなとき大体上司やとなりの先輩(大尊敬)に落ち着けって言われるな、それだな。
そんで、落ち込んでるときって"幸せとは?"とか、"生きるとは?"みたいなデッケー命題を考えがち。わかるーってなった。
あの雲が切れれば陽が射すから
そこに大きな虹が架かるから
今は陰るその顔も
微笑むときをただ待ってるから
今日という日はただの今日だけど
歩き出せば始まりの記念日
雨雲を切り裂くのは
木漏れ日のような笑顔
泣き泣きのあとのふふっていう笑っちゃった顔好き。木漏れ日のような笑顔、て!それよそれ!雲の隙間からさすやつな!
ただ待つってのがいかにむずかしいか。動きたくてウズウズするきもちを、おさえるのは簡単じゃない。
言葉並べたって意味がないこと
泣いてた君の隣で気づいた
痛み分けあえりゃ
どれほどいいだろうと
考えはするけれど
いつも何もできない
わかる。ちょうわかる。
痛みわけあえりゃ、楽にしてあげられるだろうに、共感したり労いの言葉をかけるぐらいしかできない。それって何かしてあげたことになるのか。困ってるひとに咄嗟に、神が降臨する一言をかけるのは難しくて、結局なにも言えなくて黙るってことある。逆に傷つけたらどうしようとか。
触れ合いの力ってすごい。なんで会いたくなるのって、触りたいから。手をさわるとかそれだけなのにドキドキしたりものすごく安心したり。
いつだったっけ僕ら出会った日
二人だけではじめて遊んだ日
夜通し語り明かした後で
僕が君に想いを伝えた日
全部記念日やん.... ここできづく、何でもない日はないのだ、二人が出会ってからまいにちが記念日だということに....
今日という日はただの今日だけど
君がいるから楽しい毎日
笑えないならそれでいい
僕がおどけて見せたらゴメンよ
あの雲が切れれば陽が射すから
そこに大きな虹が架かるから
今は陰るその顔も
微笑むときをただ待ってるから
今日という日はただの今日だけど
歩き出せば始まりの記念日
雨雲を切り裂くのは
木漏れ日のような笑顔....
「じぶんで笑えないならいいよ、僕が笑わせちゃうから」ってことかな
悲しいとこおどけたら不謹慎かもしれない、ごめんね、でもやっぱり笑ってほしいんだよって気持ちかな。
雨が降ってると晴れることもましてや虹が見えることなんて忘れている。
だから晴れたときには毎回感動する。悩まなきゃいいものを、やっぱり人は悩んでしまう、そしてそれをはらしてく、それの繰り返しって分かってるんだけどね、虹には驚いてしまう、そしてとてつもなくうれしい。
は~、音楽は娯楽じゃねぇ、衣食住と同じレベルで必要。アーティストのこと農家だと思ってる。作れないわたしは供給を待つしかない。ほんとにありがとう、音楽の人たち....。