部屋がきれい

ここはわたしのシェルター。萌えを探求するブログです。日々について。部屋はきれいじゃないです。

生きていくために死ぬ準備をする

「遺影を撮りに行こう」

 

数ヶ月前のこと、文字通り瀕死状態の時、友達から「遺影を撮りたいから付き合ってほしい」とメッセージが来た。別に死ぬ気ではなく、今を残しておきたいなと思ったんだって。私も死にそうだし、面白すぎるし行くっきゃないそんなの。

 

平成もあと2日という今日。

"OL風双子コーデ"をしようとはしゃいで買ったお揃いのブラウスとスカートを着て、やってきたのはコリアシティ。私が就職活動用の証明写真を爆安&激盛れで撮ってもらった写真屋さんがある、という記憶だけを頼りに。しかしそこはもう無くなっていた。しゃーなし近くの写真屋さんを検索、お手頃価格で撮ってくれるスタジオを見つけた。1時間後に予約をとり、しばし街を散策。チーズハットグをモグモグして、甘いものが食べたくなってタピオカを飲み、ダラダラとこれでもかと自撮りをした。

 

時間になったのでスタジオに行く。

「どんな感じで撮りますか?」「なんかこうバストアップでいい感じに…遺影にも使えるような…」妙齢の女性がそろいの服をきて遺影を撮りたいなんて注文してきて、さぞ驚いたと思う。でもしょーがない、遺影は盛れてる他撮りじゃなきゃ。

1人ずつ撮影した後、ツーショットも撮ってもらうことにした。ツーショの方は使い道がなくガチの記念撮影。

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▲模写ですが、イメージはこんなかんじ。

 

30枚くらい撮ったなかから一番いい一枚を焼いてもらった。自分のいい顔を真剣に選ぶのはなかなか楽しい。写真写りの悪いのはいつも中途半端な表情だからだな、と分かった。なんのてらいもなくパカっと笑った顔が一番素敵に写っていた。

 

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▲流して欲しい音楽をリクエストできるカフェに行った。クマさん型の氷が浮かんだコーヒー。

 

そのあとカフェでお茶しつつ自撮りを極め、可愛い飲み物を飲み、最後にプリクラを撮った。

「三年後にまた遺影を更新しに行こうね」「なんだか免許みたいだね」と笑って別れた。

 

 

 

不思議なことに、わたし、死に前向きになったら、生きる気持ちが湧いてきた。いつ死んでもいい状態の私が残せたから、あとは死ぬまで生きるだけだな、と思った。

「死」というデカすぎる問題を考えると、他のことは全然解決できる気がしてくる。生死について考えるということは、夜空を見上げて自分をちっぽけに思うことと同じ効果があるな。

私たちはどこか死に期待している、その想像もできない現象に。"死んだほうがマシ、死んだら何もかも解決する、死ぬ気でやれ"。死んだら自分の意識は消えるから辛いことは終わる。死にたい人を止める術がわからない。

自分が死に向かう意識をそらすために最近は「生きたくても生きられない人がいるから死ぬな」という理屈を信じてみている。風が吹けば桶屋が儲かる、この世の全てがバタフライエフェクトでぱたぱたと繋がっているなら、私の生存意思がそのまたはるか向こうの生きたい誰かに届くかもしれない。私が生きることでその人が生きられるってことが、ほんとに起こるかもってこと。二分の一の奇跡、あるかもしれない🧡

 

親愛なるあなた、誰にも影響を及ぼさずに生きることはできない。家でぼうっと寝てても家賃払ってライフライン使ってんだからさ!意識的に行動起こさなくとも誰かに何かを与えられる。だから、なんもしないようにみえて世界の一員、もれなく。

大事なことから目をそらしてもいい、いつか指の隙間から見れるかも、はたまた直視したい大事なことが別にうまれるかもしれない、だってみんな大事なことを押し付けあってるもん、誰のどの大事を大事にするか選んでいいとおもう。なんてったって生まれながらにして自由だし!アゲ!