部屋がきれい

ここはわたしのシェルター。萌えを探求するブログです。日々について。部屋はきれいじゃないです。

太陽がそばにいるとうるさいだろうから間接照明ぐらいでいいですか

父、3大疾病コンプ気味


まあ軽く聞いてくださいョ

 

 

こないだ父の担当医の話を聞いた。

たまたま病院にいた時に、先生が病室に来て「ちょうどよかった、ご家族の方がいるなら」と面談室につれていかれ、父と二人で話を聞いた。

検査の結果、脳梗塞よりも心筋梗塞疑いの方が深刻、ということがわかり、脳神経外科から循環器科へ移ることになった。心臓に大きめの血栓があるそうで、万が一どこかの血管に流れて詰まりでもしたら、もっと重大なことになるかもしれないと。

治療方針を説明された。血栓を溶かす点滴を増やすこと、カテーテル治療をするかもしれないこと、そしてなるべく安静にすること。

トイレの時は人を呼び、病室には尿瓶が置かれた。点滴の機械が増えた。管が増えた。リハビリしたら2週間で退院できるね、なんて言っていたのに、事態は緊張感を増してしまった。

あと少しで退院できると思っていたのが、1ヶ月に伸びてしまった。なによりお父さんが、落ち込んでいるように見えた。「そうけ、心臓け…」とため息まじりに言っていた。それにラインで「◯◯なのがストレス」って言われることがふえた。

 

お父さんがあからさまに落ち込んでるとこなんて、見たことがなかった。仕事のことや親戚のこと、🍟🍅の学校のことでどうしよーだの愚痴を言ってるのはよく聞いていたけど

見栄っ張りだから、お母さんが死んでからずっとずっと溜め込んでたのかもしれない。山紫米は家族といっても、娘だし。かっこ悪いところを見せないようにしてくれてたと思う。泣いたところほとんど見たことないし。お父さんに親友はいるのだろうか。

ひとり言を言うのと、他人に聞いてもらうのとでは、違う。ひとり言は受け止めてはもらえない。ツイッターでもブログでも直接でも、他人に聞いてもらうということは、少なからず反応があるし受け止めては貰えるから

 

ショックだったけど、今度はわたし泣かなかった。落ち込んでる人を目の前にして、わたしが照らさなくてどうする、と言う気持ちになった。🍟のことがあった時、お父さん自身が言っていた。

仕事があるので私は東京に戻り、🍟はしばらく実家にいることにした。

駅まで送ってもらうときに、父に「はやく原因がわかるといいね」と言った。「そうだな。まずは家族が元気でいなくてどうする」と言われた。忘れていたが、父は家族の闘病を支えたことがあるのだ。母は乳がんだったから。そのことを思い出して、お父さんも壊れたらどうしようっていう少しの不安は薄れた。

「ペコロス!」 - 部屋がきれい

 

元気は「空元気」ではだめで。逆に心配をかけるから。ほんとうに、芯から元気でいるのが大事なのだ。わたし自身のことを、大事にケアしなくちゃだって思った。倒れるわけにいかねーからな!体調悪いと動けないし。ご飯食べて寝て会話してパァーッとアホでいよう。

 

父のことを相談した時に課長が言った「マっちゃんは、なんでも受け入れすぎ。すごいことなんだけど、一人しかいないんだから」という言葉が心に残ってて。ああ確かに、そうだったかも。受け入れ力が強すぎて、いっぱいいっぱいになるのが遅い。その場に上司もいて「マっちゃんたまに爆発しちゃうもんね、それが心配だよ」と言われた。お父さんそっくりじゃんね。

 

いま脳を休養させている。やりたいこと・できることだけを選択してる。仕事は来週いっぱい休ませてもらった。あそぶ約束も延期してもらった。すごく申し訳ないけど、必ずまた元気で会うために。楽しく遊びたいし、私のために時間を使ってくれるなら楽しませたいと思うから、元気じゃない時は身を潜めてようと思った。

週のほとんどを地元で過ごして、お父さんに毎日会いに行く生活。たまに東京に戻ってきて、ルムメや🐘に会う。

 

来週わたし、とうとう25歳になるよ。波乱だな〜ウケ🤱💚💐