🐘ちゃんを好きすぎる
びっくりするほど好き。愛おしさが毎日階段を上っている。天井がない。
これはもしかして愛かも。愛してるのかもしれない。
付き合う前のことを思い出して、さらに嬉しくなる。「すきになってはいけない」「すきになってくれるわけがない」という抑圧。こんなにすてきな人がわたしの方を見てわたしのことを好きと言ってくれることの尊さ。わかりますか?!言い方微妙だけど、オタクがアイドルと恋愛してるようなもんやで。リアル乙ゲーなの、わかる?!わかって?!夢が叶った!!!
もうすぐ一年が経つかなって頃から、好きっていってくれるようになり。さらに最近デレがすごくて「最近めっちゃ会いたい」って言われた。「おい"最近"てなんだよ」と一瞬思ったけど、会いたいと今思ってくれている気持ちが大事だよね、素直に受け取るね。
もともと惚れ惚れしてたけどさいきんまた惚れ直したとゆーか、やっぱり好きだ、どうしよーーもなく。ずっと考えてる。
ソルリのことがあってから、ブログは特に今までよりも慎重に書くようになった。推敲していると、書きはじめの情熱を保てなくなる。(保てるように鍛錬しなくちゃな)だからなかなか最近はこういうブログ書いてなかった。それに「町の」のこと教えちゃったし。見て、やな気持ちになるとやだなって思って、書きかけては消してた。
でもなぁ〜〜もう〜〜〜、とめどない!!意味が分からぬほどいとしさ満点。
表情を見たい、声が聞きたい、近くにいてほしい。どんなに時代がうつろいでも、愛に実体が欲しいのは変わらないんだなー
家族というのは家族で大切だけど、他人からの愛も必要だと思う。他人だから与えられることはたくさんある。と教えてもらってソレだーってなりました。
— 町の (@seong76_) 2019年11月16日
これはルムメがおしえてくれた。悟りだった!。私と🍟はよく似ているが、決定的に違うのが他人との関わり方。他人との、愛情を媒介にした相互関係。彼女にとってはそれが成熟へのヒントな気がする。
私は、愛してる(愛してくれる)他人と一緒にいるとホッとする。そしてすごく楽しい。これはかわりがきかない。「こう振る舞わなくちゃ」と思いすぎない。居場所になってくれている。家族は家族という一つの居場所でしかないから、どんどん居場所が増えていくと良いなと思う。仕事でも友達でも、お医者さんでもなんでも。
最近の出来事のおかげで、一段と家族のことを大切に思うのと同時に、愛しい他人たちのことも、とても大切だなと思った。ラブリーマニアだ…