部屋がきれい

ここはわたしのシェルター。萌えを探求するブログです。日々について。部屋はきれいじゃないです。

今週のお楽しみ袋vol.7 スペシャル

サザエさんを愉快と笑えなくなってきた


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昨日の夜中、寝たくなくて(寝たら明日が来るから)YouTube自動再生でみてたら、なぜかサザエさんが流れていた。そのままぼんやり観ていた。

 

相変わらずカツオが悪事→サザエが怒る→カツオがいたずら→サザエが怒られる→カツオが調子に乗る→カツオが怒られるの世界を延々と繰り返していた。面白い・面白くないがわからないな。

 

ふと気になって、サザエさんの年齢を調べたら24歳だそうだ。同い年。さらに波平が54歳なので、私とお父さんの年の差と同じだ。

 

幼い頃は母親ってものは大体30代だったので、サザエも30代だと思っていたが、しかしよく考えてみればあの落ち着きのなさ、調子に乗る感じ、やたらおしゃれしたがるのは20代だ、たしかに24歳だとおもう。納得した。サザエさんの年齢に追い付いたのが、感慨深かった。

 

 

人間は生きてきた年齢では計り知れないところがある。「子供っぽい」「大人っぽい」という形容詞があるように、一様に何歳だからこうという人は居ないのだ。普通がないのと同じように。こうやって知っているはずなのに、なぜか"何歳はこうであるべき"という思考回路を絶ち切れない。

 

 

 

 

 

生きてることをほめる


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友達はどう頑張っても少ないんだけど、少ない友達のなかでなんとか生きてく方法をしってる気がする。無意識に。しんどかったけど生きてきたじゃん。だから、だいじょぶでしょ、たぶん。

 

生きてるだけですごいぜ、お腹すいても、頭がいたくても、会社にかよって、まじめなふりして、外出するって言って電車に乗り続けて終点から折り返してやっと目的地に向かって、そんでも死んでない。

 

私は真面目じゃないもん。いったいなんなんだろう。何者なんだろう。友達にとって私はなんなんだろうと思うし、彼氏にとってとか、お父さんとか、🍟🍅とかにとって、私の存在の、価値はともかくあるだろうから、その意味。

 

 

何度読み返したかわからないけど、本を読みたくて、幸福な食卓を読んでいる。(本を買うお金すらない)

数えきれないほど読んだので、ちょっと気分でも変えようと解説を先に読んでみた。"見えないところでまもられているんだよ"というメッセージがあるそうだ。

私の生活も守られているのか。

家族と恋人と大好きな友達以外の人が、もしかしたら私に、傘をさしてくれているかも。友達じゃないなって私は思っているけど、私の存在が助けになっている人がいるかも。

その逆はあるなと思った。お客さんはそんなに気にしてなくても、ワタシはお客さんのお陰でノルマ達成してご飯を食べているので、守られてる....本当に本当に感謝、私の仕事でお客さんが守られ、私も守られ、感謝。

 

 

 

 

パーソナルスペースが広いからかな


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私、友達にあまり触ったりしないし、腕組んだり手繋いだりは、付き合わなくちゃしちゃダメだと思ってるんだけど、

チューしなければ友達、みたいな考え方の人も世の中にいることを知ったの

 

すごいねぇ!!!!?!!!?

 

私彼氏にさわりたくてしょうがなかったけど、付き合うまですごく我慢してたし、付き合ってからもちょっと恥ずかしくて、やっと腕組むの普通になってきたの。

だから、パッと簡単にスキンシップできるのすごすぎる、はぁ~いやはや....すごい。

 

 

 

 

 

脱力と絶望の混ざったもの


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やるせなさについて考えていた。

へ?!....は、はぁ~~ーーーーーーーーーーーーーーーーー⤵️って気分になる。

私は自分に気持ちが向いてない人にふりむいてもらおうとがんばるの、できないので、

そういうやるせなさを抱えると、そいつになんとかこっち見てもらおうと思うのではなく、負けず嫌い活動を鬼のように頑張ってしまう。諦めが光速。

こないだ春にフラれたときも、すごくすごくやるせなくて、ムカついたから、婚カツしようとしてみたりとか。

 

仕事も、初回であー完全無理と思ったら頑張るのやめちゃう。初回にあれやこれやして、そこでちょろっとでも興味持ってそうなそぶり見せたら、超頑張る。

 

 

 

 

テンテンとしたい


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自由に走り回り、どこにいても仕事ができるような、百万円と苦虫女の生活に憧れてんのかもしれない。百万貯まったことないけど.... 

転々としたいとにかく、飽きて飽きて、飽きてしょうがない。

家を買うのは向いてないな。落ち着くことはできるのかな、いつか家族ができたりしたら引っ越すわけいかなくなるよ。

今すんでるところが、生まれてから一番よいので当分はまだ飽きる気配もない。それに、高円寺に住んでたときは、とても楽しかったしまだまだ高円寺も住めると思う。

きっと飽きちゃうのって、理想がたかいんだろうなぁ。理想を満たしてくれてるからこの街に飽きてないのだ、まだ。

 

初めて感じたのが大学4年生の時なんだけど、つながりを一気に消したいな、という断捨離の欲望がある。そのときは、大学の友人とつながっているインスタやツイッターを一瞬やめた。いま、そのアカウントたちは機能していない。死んだ。

こないだ電話帳を整理して、家族といまも連絡とってる人だけにした。あとは消した。

今日もラインの知り合いを180人削除した。連絡とってないのだから、知り合いじゃないのだ。人脈とこれとは話が別だ。