まっ正直だったのかもしれない。
自分に嘘をつくのが嫌だ、ということ。
だから、他人に接するときに、仕事でもプライベートでもオールタイム自分の哲学通りに生きてきた。
だから、矛盾しそうなことを言わなければならないときは、なんとかして自分の哲学を拡大解釈して"自分に"沿わせてきた。そのお陰でいいわけへりくつ考えるのうまくなったので、エーギョとしては良かったんだ。
けどさ、エーギョするにしろ、わたしどもの哲学にいつでも沿わせるって、けっこう大変なんだ。
だから、私の哲学に沿わせるんじゃなくて相手の哲学をわたしが噛み砕いたほうが、やり易いし、お互いに、いいんじゃないかと思った。ふと
私は百年生きたいので、(なぜかというとおばあちゃんの自分を見たいだけ)そのためであれば将来のこと考えるし、不安を感じてもうごくけど、
百年生きたくない人もいる。そういう人は先のことを考えたがらないか、考えてメッチャ不安なってちぢこまる
そんな人に「人生百年生きようよぉ~生きれるよぉ~一緒に生きようよぉ~」を、必死に今までやってた。
それを、🔃「長く生きたくなさ」によりそえば、
「百年いきたくないんだね。でもむこう十年は生きたくない?」とか
「やだよね、でも百年生きちゃったらどうするの?」とか
「じゃあ五十年できれいに人生ストップできるように考えよ」とか、
いろんなもっと響くアプローチ探せそう。
そもそもなんで百年いきたくないのかは知りたいけど。
ただのへりくつフェーズは終了した、第二のへりくつへ移行するときがきた。
自分の信念をたくさんもって、いろんな人を信じてものも信じていたい。疑う心は、解釈のためだけにそだてる。