夏の終わりに無職になった
オラファーエリアソン『ときに川は橋となる』より
2020年の振り返りがやっとまとまりました。
4月についた仕事ですが、9月になる前に辞めました。悔しかったけど、どうしてももたなかった。書きたいことはいっぱいあるけどネットに載せることじゃないから割愛します。ご迷惑かけてしまったのに最後まで配慮してくださった。いまでもいち顧客としてお世話になってる。
すごく頑張りたくて、周りにも「がんばるぞ!」と言いふらしたのに、たった数ヶ月で辞めることになったのは、メチャメチャ恥ずかしくて悔しくて、今も思い出そうとすると悲しくなる。
思ったよりも歪んでいたし、傷ついていたようで、回復に時間がかかった。
何度も何度も「自分とは」を繰り返して、やっと本心が見えた。そんな記事です。
そんな無職の秋を振り返ろう!
9月
意気揚々と転職エージェントを4社も登録し、とりあえず面接を受けまくり落ちまくり、遊び、「この1ヶ月は人生の夏休みじゃ〜」とか思ってたらあっという間に通過した。下旬に受けた2社は受かったものの「ちがう」となってお断りした。
辞めたのに、仲良くしてくれたお客さんが遊んでくれたり、前の前の会社の同期と会えたりして本当に楽しい月ではあった。🐘ちゃんとの2年記念日もあったし。でも、もがいて溺れた1ヶ月だった。
10月
9月中にここだ、という会社を見つけられなかったのはショックな反面、失業給付をもらいにハロワに行ってみたかったので好奇心は満たされた。(好奇心で身を滅ぼすタイプ)
とはいえ来月から働かないと、手をつけないと決めていた貯金を崩すことに…。しぶしぶ就活し始めた。
応募する企業を選定するため、改めて条件を書き出していくと、驚くことがあった。最初に決めた条件とほぼ変わらなかった。
あれ?じゃあなんであんなに揺れ動いていたんだろうと考えると、一つだけ最初とは違うことに気がついた。
それは自信。「自分の判断を信じることができていて、自分のことを守ろうと(守ってもらおうじゃなくて)思えているか。」という気持ち。
1ヶ月で決まらなかった答えは明白だ。
自信がなく、すすめられるまま応募していたから。
自分の権利を守るためには、自信を持って主張しなきゃいけない。
わたしはいろんなことが不安で、怖かった。だから他人のジャッジを信じてしまっていた。
最近読んだ本に「怖い時はやった時のメリットとデメリットを書き出して、メリットの方が大きければやる、というように決める」とあった。
「決め方」を決めてしまうと楽。私の弱点は迷って決断に時間がかかってしまうことだから
たぶん、わたしにできないことはない。(それはみんなそうで、みんなできないことなんかないはず。環境が合ってないだけなんだとおもう。)
やりたいことを「向いてない」って言われたこともあったけど、それは"その人の意見"なだけ。命令ではない。暗示でもない。答えでもない。なのにどうしても負の部分ばかり頭に残ってしまう。
そういう時は、「この人には批判されたけど、評価してくれる人もいる」っていう風に考えるといいと同じ本に書いてあった。
陰陽だなぁ。そういうの好きなくせに思考に応用出来てなかった。
とは言いつつ10月の私には、
「まだ働きたくない」
「なるべく楽したい」
「もう傷つきたくない」
「どうせうまくいくわけがない」
がつきまとっていた。だから、ろくに就活しなかった。やりたいこともわかんね〜とか、思ってたし。10月後半にかけて焦って受けてはみたけど、結果はお見送りの連続。あてぃりめぇ〜ですよね〜🍥
11月
11月に入ってすぐ、尊敬する人たちに会う機会があった。
父とたくさん話す時間があったのも、あると思う。
それらのものすごい衝撃で、カベがぼろぼろ壊れた。そうしたら副産物的に本心を見つけた。「あ、あった」みたいな。
まっ暗い洞窟の中で、まったくみていなかった場所から宝石を見つけた感覚。見当違いのところを掘っていた。
「誇らしく生きたいな」というのが本心だとわかった。そして、やっぱり人と関わりたい。人の物語に興味がある。
ずっと職種を悩んでいて、営業職は避けていた。向いてないと言われたのを無意識に信じ込んでた。営業向いてないわけない、会社のおかげだったとしてもやれた時があったんだから。
わたしが自分の可能性信じないでどうする。未来があるんだから希望を失っちゃ、かなしいよ。
「向いてない」はその人の"意見"。しかも私の全てを知ってる人の意見じゃない。
それを反芻する。
それに今の私は去年の私とは違うし、昨日の私とも違う。ちょっとでも、できなかったことができるようになっているはず。さまざまなことが、私に勇気をくれる。失敗やミスはあるかもしれない。まだ怖いし、怒られるとおもう。
でも死にはしない。
長く生きていくための力を今つけたい。人生は30歳では終わらないから。
見えなかったものを見えるようになりたい。もっと気が付きたいし、気が付いて助けに行ける力をつけたい。
生まれた意味や使命なんて、とっても大義的で恥ずかしいけど、目の前の階段を一つ一つ登っていって、なにかを達成したなと思えたらサイコーだ。自分のためでいいから「ひとのために」うごきたい。
だってそれは単純にかっこいいもん。
この秋は…
紆余曲折したけれど、元気になったし希望を持つことを覚えて、この無職の秋はかなり有意義に過ごせた。回復に時間がかかって、まだやりたい仕事につけてないんだけど。。(11月末時点)
自分の満たされない部分が何かを知り、それを仕事で実現したい。仕事は有効な手段だ。お金ももらえるし。
周りの人を大事にしたい気持ちは変わらないから、それを優先順位の一番上とする。
昔よりも決断力がついた!!
影響されやすい性格はおそらく変わらないので、「影響される人」を決める。言われたことをためすぎない。
つづきの12月(長いです)
見つけたぞ!のイメージ図
冬になり、やっと興味のあることが見つかった。そこからはトントン拍子で、無事に第一志望の企業に内定を頂くことができた。あんたよくやったよ。
私の核をくすぐるような仕事は突然出会った。正直今まで見向きもしなかった未知の仕事。
2021年から、介護の仕事に就くことに決めた。高齢者介護。
今まではただ「なんか重労働らしい」と言うイメージしかなく、自分がやるなど頭の片隅にもなかった。
だけどよく考えてみたら、売り上げではなくサービスで戦うって、今までやりたくてもできなかったことだ。いつも利益との葛藤で落とし所を探すばかりの日々だった。私のやることは本当に役に立つのだろうか、意味があるんだろうかと。
介護を自分がやると考え、真っ先に思い浮かんだのはよくしてくれたおじいちゃんおばあちゃんたちのこと。「町っちゃんと話せるとうれしいわ」なんて言ってくれたけど、顔を見れるだけでホッとしたのは私の方だった。
ときどきおしえてくれる人生の話がとても面白くて、味わい深くて大好きだった。
こんなふうに今までの仕事では高齢の方とお話しする機会がたくさんあり、その時間はとてもほくほくしたのが懐かしい。
認知症の方をはじめ今まで関わってきたより高齢の方、そう簡単になじめるわけも、生活の介助をすぐできるようになるわけでもない。厳しい道もあるんだろうと思うけど、今はワクワクが大きい。
"「やりたいことを見つける」ではなく「満たされない部分を探す」"
無職中、たくさんの友人が言葉をおしえてくれた。それも凄く選択に効いた。
その中でも特に印象深いのが
「やりたいことを見つける」ではなく「満たされない部分を探す」
と言う考え方。
「やりたいこと、やりたいこと…?」と考え出すと焦って頭が真っ白になる。
でも「満たされてない部分はなんだろう…?」と考えるとパッと出てきた。
「わかりやすく人の役に立ちたい。ほっとしてる顔が見たい。町のさんがいいって言われたい。喜ばれたい。なぜなら他人軸だから」これが満たされない部分。
そのヒントが"福祉"だった。
大学生で手話を習った時、妹の自殺未遂で福祉のお世話になった時、福祉に関わりたいと感じるタイミングは何度かあった。でもその度にあきらめてきた。根気強さとど根性、覚悟、プラス学校に通うお金と時間がないといけないなんて、無理。
って。
でも、いまのわたしならどうだろう。がんばりしろがある。これまであきらめたことも、今から取り返せる分を取り返したい。
これまで傷つけてしまった人、迷惑をかけた人、本人に直接言うことが叶わないなら、せめて私が働くことで、バタフライエフェクトでその人たちにいいことがあってほしい。喜ばれて必要とされて自信をつけたい。ふらふらよわよわしているけど、ちょっとずつは成長したはずなの
「町の」としてやりたいこと
ブログ及び町のとして表現していることとの折り合いは長い間悩んでいた。一時期、収益化を目指していたから。
だけど「満たされているかどうか」と言う物差しで考えた時、町の活動はけっこう満たされているな、と思った。
「なんで人に見られるところでやっているのか?」と言うことの答えも同時に出て、
自分の書いたものが誰かに反響して、また自分に返ってくるとき、面白いから。感想をいただけるときがたま〜にあると、うれしい。誰かではなく、過去の自分と対話できることも嬉しい。すでに欲しいものが得られているのかもしれない。
本名の私と町の、バランスよくニコイチで生きていきたい。2人がいきいきすることが、人生の目標。
2020年は誰にとっても激動の年だったと思うけれど、私もよく頑張った。
みなさま、お疲れ様でした。2021年もよろしくお願いいたします。