部屋がきれい

ここはわたしのシェルター。萌えを探求するブログです。日々について。部屋はきれいじゃないです。

モの気持ち

人生で初めて精神科に行った。山の中にあって、綺麗な建物で、予約制だからなのか静かだった。

私の、ではなく、付き添いで。

 

妹が、自殺未遂をした。3度目の。

去年の秋。過呼吸で呼吸困難になり救急車で運ばれた。どこの内科に行っても原因がわからず、精神的なものかもしれないとも言われた。だからそのうち病院に行ってみようねと話していた。

そして今年の三月、最初の自殺未遂。仕事中急に「好きだよ」とラインが来た。なんだ、きもちわる、と思った正直。ふつうにふざけてるのかと思った。そしたらその日の帰り道、会社の最寄りについたとき、「だめだった」「やっぱり死ねなかった」とラインが来た。意味が分からなくてすぐ電話をした。人は焦っていると冷静になれるもので、すぐに航路を変更、妹の家に向かうことにした。その間に死なれては困ると思い、ルムメに「🍟と電話を繋いでてほしい」とお願いした。家まで1時間半ちかくかかるから。

私はその時ちょうど昇格のためのノルマを追っていて、仕事に依存していた。どっちも自分のために大事にしたくて、初めて仕事と家族を選ぶという局面を迎えた。泣きながら上司と電話したのをおぼえている。妹と何日か一緒にいた。でもラッキーなので昇格もしました。家族と一緒にいてよかった。

その日の翌日に書いた記事▶︎http://zaijian3.hatenablog.com/entry/2019/03/14/%E4%BF%BA%E3%81%AE%E6%9C%80%E5%BC%B7%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%93

二度目はちょっと前。手首を切ろうとしたけどなかなか切れないんだね、と。苦しくなったらやる前に電話してと言った。どうしたら死なない気持ちになるか、自殺のなにが良くないのか私自身うまく説明できなくてもどかしかった。

一度目も、二度目も、父にも下の妹にもちゃんとは言わなかった。言ってほしくなさそうな感じがしたし、父は田舎育ちで保守的な人間だから「お前が悪いんだ」とか本人に言われたらどうしようと思っていた。良くない方向へ向かったらどうしようかと思っていた。その読みは結局は的外れだったんだけど。

そして、三度目。仕事中に電話がかかってきた。出たら泣いてたから、まずいと思って、外出するふりをして1時間ほど会社の外で電話をしていた。「今実家にいる」。遠いからすぐ行けないし、なんとか電話で落ち着かせようと話し続けた。

初めて叫びをきいた。「もう終わりにしたい、死にたい、死なせてほしい」本当にまずいと思い、父に電話をした。私も泣いてしまった。「妹がやばいかもしれないから家に帰ってほしい、私もどうしたらいいかわからない」「わかった、すぐは帰れないからおばちゃんに先に行ってもらうから」おばちゃんとは正確には大叔母(父方の祖母の妹)で、三軒隣に住んでおりもう1人のおばあちゃんのような存在。私も事情を上司たちに話して、休みをもらって向かった。「今から行くから、そしたらばんどうたろうの唐げ食べに行こう、それまでは絶対やめてね、待っててね」と妹に電話をした。

私が実家に着いた時には、父と、妹がいた。泣き疲れた様子だった。その日は下の妹が学校から帰ってくるのを待って、みんなでご飯を食べに行った。私は翌日休みをもらった。

おばちゃんからも、いとこからも、会社の人たちからも、妹さんも心配だし、マチノさんも自分を大事にして、と言われた。そんなにやばそうに見えたのか。そう言われるとやばい気がしてきた。ただびっくりして泣いてるだけなんだけど。

 

 

病院では、診断はされなかった。なにかしらの病気ではあるが、診断するには足りない。これから調べていきましょうと。脳の休養が必要だと言われた。義務感ややりたくないことは後回しにして、やりたいことや楽しいかもということは、どんどんやってくださいね、と言われた。病気は誰のせいでもない。だから、なにかの病気だとわかって良かった。だって病気は治療できるでしょ。私は頼られるのがやっぱりどうしても好きだから姉ちゃん頑張っちゃうぞ〜って気持ちなわけ!だから心配すんな、寄りかかっておいでね

 

電話がかかってきた時は気が気でなかった。いまも少しは、そう思う。1人にしたらダメだとおもう。失ったらどうしようっていう涙や励まされての涙がとまらない。気づかないうちに消耗していたかもな。私のためにも彼女のためにも、元気でいよう。

 

苦しんでるのに、私は仕事を頑張ったり遊びに行ったりしてもいいのかなって、知らず知らずのうちに自粛ムードになってた。そうじゃねえだろ。そうしてほしいわけがない、とルムメに言ってもらって、あ、って気づいた。だから普段どおり遊ぼうと思う、というかもっと楽しいことを仕入れて、いっしょに遊びたい。遊んだら楽しくなるかな

 

自分がそうなってみて初めて「そういう状態の人」の気持ちがわかる。だからどれだけ思いやりが難しいかということだ。たとえば小さいお子さんがいる方、家族の介護をしてる方、家族が入院したり療養している方、障がいのある家族を支えてる方、。

事情を推し量った振る舞いをしようと、本気で思った。今までは想像の範囲を超えなかったから、分かってなかった。こんなに不安になるんだなぁ、こんな気持ちでよく仕事ができるよな、と思う。色々、大変さは人それぞれなんだけどさ。

病気にならないほうがよかった、そりゃもちろん健康だったらよかったかもしれない。でも、こういうとアレだけど、健康だったら私たち家族は、お互いを思いやる気持ちを欠いたままこれからも生きていったかもしれない。おかげで、というのもおかしいんだけどなんとなくそう思う。そして全てのタイミングがきっと、今でよかったんだ。今病気だとわかってよかった。それぞれが家族と一緒じゃない時間のそれぞれの人生の経験を、ある程度重ねてきた今だから、病院に行くという選択をすることができた。私は実際、上司たちに相談できて、第三者からの意見をもらえたから泣きじゃくりながらも冷静に動くことができたし

それに、お父さんも”理解”はできていなかったけど、付き合っていく覚悟が見えた。下の妹も、他の家族も。思ったよりもみんな優しかったんだってわかってほっとした。みんな、正しくはないかもしれないけど、それぞれが培ってきたやり方で「なぐさめて」くれた。その気持ちがわたしはなによりもうれしかった。うちのかぞく、優しいじゃん、って。

 

もう元には戻せない。でも回復して新しい状態になるじゃん。ほんとに比喩じゃなく未来しか生きられないんだからさー!

 

f:id:zaijian3:20190601085531j:plain

大根をくれる病院。



 

 

※妹本人に許可を得て書いています。