部屋がきれい

ここはわたしのシェルター。萌えを探求するブログです。日々について。部屋はきれいじゃないです。

大学に行ってよかった

はじめに

大学に行けなかった、行かなかった、やめた、大学嫌いだった等の方を批判する目的ではなく、回顧録です(つまりいつも通りの日記です)

 

 

大学の勉強が役に立っているか

と、いうことを考えた。きっかけはTwitterで「大学で勉強したことが活かせてない仕事してるって社会全体で見てもったいなくない?」という投稿を見て。↓

とっとこランサー on Twitter: "大学または大学院を卒業して就職した人に対して、「大学や院で培った知識やスキルって仕事で活かせてますか?」とよく聞いています。 しかし大体8割ぐらいの方が「活かせてない」って答えるんです。 もちろん社会人と学生の違いもあると思いますが、これ社会全体で見ても相当もったいないですよね。"

 

たしかに、大学で勉強したことまんま役に立つ仕事をしている人、とても少ないと思う。文系ならなおさらだ。

私は東洋思想のゼミに入っていたから、ますます直結する仕事が思い浮かばない。強いて言えば、お寺関係、宗教関係、あとは仙人しかなくね?

 

職業という側面で捉えると狭くなるけど、思想や哲学はすべての根底にあるものだから、学んだことは役に立っている、と感じることが多い。

もちろんすべてを体現できるわけじゃない。素晴らしい哲学を学んだからと言ってもたくさん落ち込むし、悲しいこともあるけど、日々考える時のみちしるべになってくれている。

 

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それに、「心の拠り所を獲得した」という点で、かなり大学の影響は大きい。

 

ゼミ合宿で、毎年山小屋に泊まっていた。

そこはガチの山小屋で、すごく新鮮で楽しかった。火を起こしてかまどで料理を作ったり、オーブンでパンを焼いたり。夜はキャンプファイヤーでごうごう焚かれる音や色を見た。朝は森の音をきいた。

山がこんなにいいものだと知らなかった。山なんて虫がいっぱいで暗くて怖いとしか思ってなかった。

 

私はあれ以来、森林が好きになった。ふとした瞬間に「森に行きたい」と思う。どこに行きたい?と言われたら「森」と答えるぐらい。(好きな映画は『リトルフォレスト』だし)

あの思い出が心のオアシスのような存在。思い出すだけで幸せが湧いてくる。

 

勉強そのものも、折に触れて思い出す。

特に、大きく気持ちが動いた時には。

わたしは書道部で写経をした経験から、般若心経に魅力を感じて、無謀にも卒論のテーマに取り入れた。全てを学び切ることはできなかったけれど、ひとつだけ言うなら般若心経の「空」という概念に救われることが多い。ふとした瞬間に降りてくる感覚がある。「あそうか、"空"か」と感じる。

 

上述したように、だからといって落ち込まずにいつも穏やかというわけにはいかないが、自分の感情を論理的に分析することができるというのは助かる。「わからない」と、恐怖を感じる。わかっていることが増えていくと、とても心地良く過ごせる。

 

 

何であのゼミにしたんだっけ

今ではしっかりとわたしの中に根を張りつつある、般若心経をはじめとした思想や哲学。

 

その芽は、遡れば幼少期。

小さい頃から考え込む子供だった。クヨクヨ悩むタイプ。

 

中学校に上がる前にお母さんが死んだこと、

小6から日記につらつら愚痴を書いていたこと、

この二つが「あの時どういう気持ちだったんだろう」「どうしてそう考えるんだろう」への興味につながったのではないか。

 

高校で進路相談をしたとき「哲学や心理学なんて役に立たないからやめな」などと言われ、流されやすいわたしは心が折れた。

かと言って法律や経済、ましてや理系を学ぶなど想像もできず、「国語が好きだから」だけで文学部を選んだ。その時は司書も興味があったし。

 

入学してすぐ、友達に誘われて書道部に入った。それがゼミを決めた最大のきっかけだった。

書道部でとてもお世話になった先輩が「町の、東洋思想ゼミ入らない?」と誘ってくれた。そこの教授も先輩たちも穏やかでよさげ〜と思い「入ります!」と返事をした。ほんとに流れ流れてたどり着いただけなのだ。

 

般若心経も書道部のおかげで知った。

書道部の合宿では、毎朝5時起床で写経をしたんだけど(私がドMだからなのだろうか)その爽快感が忘れられず、ファンになった。

旅に行けば写経をし、般若心経が刻印されたキーホルダーを買い、初音ミクの般若心経ポップを暗記し、あげく仏像展覧会があれば見に行っていた。ファンだからアイドルを研究する、そういう動機。

 

 

まだ研究は続いている

東洋思想ゼミでの卒論テーマは「中国が噛んでればなんでもあり」だったので、まよわず写経についてを選んだ。(教授の専門は老子だったけど)

 

今思えば、よくあんな先行研究まとめただけの卒論で卒業させてくれたと思う。

そりゃもう赤がたくさん入ったけど、「最後の考察はよく書けてました」とお褒めの言葉をいただいた。

 

知るためには体験するしかないと思って、自分でよく写経をしていた。人を誘って感想を聞くこともあった。

卒論を書き終えた時、「ここで終わりにはできない」と感じたのを覚えている。だから今でも年に一回は写経に行く。

まだ私の研究は続いているんだと思う。

 

私が研究を続けることで、社会にどう役立つか、言語化が難しい。

けど友達や知り合いが「町のさん写経好きなんでしょ?今度一緒に行こう」と言ってくれることは多く、実際に一緒に行くこともある。

 

周りを巻き込めたという点で、社会に一滴ぐらいは影響与えられていたら、意味があったと言えるかな。

 

大学に行ってよかった

「大学に行ってよかった?」

ときかれたら、間髪入れずに「もちろん」と答えられる。人との出会いが大きいけど、私の人生に研究課題を見出してくれたから。

 

巡り巡ってあの時反対してくれた進路指導の先生にはありがとうだし、

いちばんは、迷いながらも送り出してくれたお父さんに!「上京することを認めるかどうか悩んでいた」と後で聞いた。旅をさせよの精神で、認めてくれたらしい。

おかげさまでいろんな旅ができているよ。大学に行ってよかった。