部屋がきれい

ここはわたしのシェルター。萌えを探求するブログです。日々について。部屋はきれいじゃないです。

カミキリムシの食卓を観ました

人生2回目の舞台鑑賞。

おとのよるを見たあと、宇宙ちゃんがつくる舞台をやる?!ときいて即座にチケット予約した。

劇場のある辺りはなんだかおごそかだった。

 

宇宙ちゃんが受付してて、キラキラしてて恥ずかしくて全然目を見れなかった、、在宅オタク…

 

宇宙ちゃんが悩みながら、答えを出して、それを作品に昇華したのだと感じた。まじすご。うるうる。

 

個展のパンフレットで「幸せなことが苦しい」と言っていた。宇宙ちゃんが演じていた登場人物もそうだった。裕福な家庭に生まれたのに、家を出て、狭いアパートで、夜の仕事して、カミキリムシに腕を噛ませてる。

ご飯を食べさせている女の子に、「そんなの、カミキリムシにもあたしにも失礼だ!」って言われて泣いていた。もらって私も泣いた。

「安心したかった、私もちゃんと痛いよって」その気持ちとても共感した。なんだか、どこかで挫折しないと生きちゃいけない気がしてしまう、矛盾した世の中だなぁ。

でもそれは、誰か可哀想なものがなくちゃ、彼女を傷つける悪者がいなくちゃいけない。

人の地獄と比べない。隣の芝は青いけど。

 

私は、不幸をいくつか経験したおかげで、いま、幸せなのだと思っていた。

世間の風潮に流されてるだけじゃないのか?とふと考えた。

世間の「逆境で人は強くなる!」論に流され、「あー、不幸体験あってよかったー」と思ってしまうこともあった。

 

だから、すっごい矛盾なんだけど、「もし自分の子供が産まれて、私がすこぶる元気で両親健在で育ったとしたら、幸せすぎて人の気持ちがわからない大人にならないだろうか…?」って、考えたことある。すっごい矛盾!おかしいおかしい。いまおもえばおかしいのはわかるけど。

 

まあ…もはや、なにが普通とか一般的とか、存在はしていないんだけどなぁ。マジョリティって環境によって違うし。

 

不幸でよかったと思ってしまって、なんなら両親健在で実家が太いひとのこと見下しさえしてしまいそう、いやしてた。「はいはい、幸せでよかったね。なにも苦労を知らないんだね。こどもだね。」くらい。

すごく反省。

こんなところで分断を生んでどうするんだ。

 

宇宙ちゃんは、悩んでくれていたと思うとすごく申し訳ない。直接ではなくても、彼女を悩ませた声の一部は私だった。

なのに、教えてくれてありがたい。ありがとう。

 

「地獄」。いま私が生きてるはずのこの人間界は、一つの地獄だ。輪廻のうちの一つ。ここから抜け出せない限りはいつまでも天国には行けない。

 

幸せには幸せの地獄がある。生まれてから死ぬまでに苦しみがない穏やかなことなんて、きっと天国に行かなくちゃ有り得ない。

 

うーーー感情のまま書いてるからアタフタ!

 

 

ひとにみせたくない弱い部分を、こんなにたくさんの人に、説明するより大変なことをして…つくるひと、尊敬する。

舞台、くすくす笑って、びっくりしたり、ポロポロ泣いたりもした。

こなつと、きのみやくんと、ゆきえさん。私の放課後にもあんな場所があったらよかったなぁ。

食卓を囲む描写フェチだから、食卓があたたかい記憶でよかった。

もーーーーすっごい大満足だった。もう一回見たい。

舞台俳優さんってすごい。おなじ場所にいてもまるで違うところのように。回想シーンからの現実、過去、確かにそこにいるのに!切り替えがすごくて本当に感動しきりだった。すごい、す、すごすぎるー!!って。

 

もーーーーーニヤニヤして顔を覆っちゃうくらい面白かったです。