部屋がきれい

ここはわたしのシェルター。萌えを探求するブログです。日々について。部屋はきれいじゃないです。

諦めて大人になろうかな、と思い始めた

妹の🍟が着々と大人になっていく。それがわたしはしみじみと嬉しい。もう20歳になるものね。

「大人になったな」を因数分解すると、「論理的に話せるようになったな」「脳内を言語化できるようになったな」「人の気持ちに気付いたり汲むことができるようになったな」というもろもろである。

昔から他人の気持ちへの「わかり」は深かった気がする。心理検査の結果、IQがとても高かった。簡単に言えば頭はフル回転できるけど手が動かないっていう状態らしい。もどかしかったろう。

 

 

大人っていいな。

この先大人になることしかできないのだから、諦めて大人になろうかな、と思いはじめた。年相応というものがあるなら、わたしの感性は25歳なのだろうか。

 

 

 

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映える

 

大人になったことを少しずつ諦められるようになってきた。学生の時間よりもはるかに社会人タイムが長く、"はたらいてお金を稼いでご飯を食べていくこと"がすなわち生きることなのだと。

 

「息をするようにできることを仕事にした方がいい」と一般によく言われる。わたしのそれは何かと言うと、作文・会話・歩くこと。会話に関してはムラがある。

書くことと喋ることは反対の位置にあるような気がしていたけど、心のうちを外へアウトプットすると言う点では同じなのですこしも乖離していない。

 

作文してる時がいっとう楽しい。手紙、日記、エッセイ、詩、それからレポート、メールさえも。

一人で完結するように見えて、目の前や周辺に誰がいるかというのが大事な遊び。好きな人がいたり、怖い人のいなそうな安心できる場所だとはかどる。

 

一人遊びするときも、散歩か日記を書くかの二択。ひとと遊ぶことにお金をふんだんに使いたいから、一人でいるとつましくなってしまう。

望んでこのお金の使い方をしているから、満足度は低くない。でも支出を減らすだけじゃ限界があるので、収入を増やす方向に働いていきたい。中期的な収入。副業もできるように余裕を持ちたいなと思う。おー、おとなっぽいこというてる。

 

最近大学の後輩に会う機会があり、「もう学生の感覚はないな」としんみり、でも嬉しかった。

なりたいものには絶対になる、行きたいところにも行くしやりたいこともやる。それもおとなになればできることだなぁって思う

 

諦めて大人になるの、悪くない気がしてきた、自分を励ますのが上手くね?わたし天才やん

最近のわたしの中でのおとな議題は「人間の好き嫌いはTPOをわきまえるべきか」です。しゅんじゅんしている。