部屋がきれい

ここはわたしのシェルター。萌えを探求するブログです。日々について。部屋はきれいじゃないです。

命日

お母さんの命日。

三月三日の0時7分と言うことになっているけど、ほんとうは三月二日の夜だと思う。たしか。息を引き取った時、周りには家族がいた気がする。誰がいたかもう忘れちゃった。目も閉じられず、肌が黄色くなって、死んでいったお母さんのことをおぼろげながら、しっかりと覚えている。

お父さんに「ピアノの発表会の日までもたないかもしれない」と泣きながら言われたことも。

 

三月って「春で暖かくて」なんて思うけど三日は、こんなに寒かったんだ。毎年思う。

 

三月四日。昨日の晩はお母さんの夢をたくさん見たな。

お母さんが亡くなってからは毎晩のようにお母さんの夢を見て、あーよかった、生きてるんだねと思い、目が覚めて絶望する日々が長く続いた。

いい意味でお母さんがいない事実を忘れられて、人に「うちはお母さんいない」って言えるようになったのはほんのつい最近のこと

またさらに最近気がついたのは、お母さんが死んだ悲しみが、癒えてはいないということ。忘れることはできても、悲しみの痕はずっと残っている。何かのきっかけでものすごく涙が溢れてくることがある。

会いたいなと思う。すごくお話ししてみたい。話したいことがいっぱいある。聞きたいこともたくさんある。

夢だけでもいいから、これからも会いにきてほしい。