最近、久しぶりに勉強してる。
思えば小さい頃から勉強は嫌いじゃなかったと思う。調べ学習とかも。
動機は大きく二つあって、「頑張ったら褒めてもらえるから」と「我を忘れる作業として好きだから」
今やってるのはWebデザインの勉強。
想像してたWebデザインは「カフェでMac」的な風景だった。
実際は違った。かなり地道で、コツコツ系の仕事。キラキラはしていない。肩こりと眼精疲労との戦い。でも性に合ってる気がしている。
デザインの勉強は、昔からの夢だった。
デザイナーになりたかったというより、デザインの勉強をするのが夢だった。
絵も字も好きだけど「それひとつだけ」は苦手。組み合わせてレイアウトを考えるとか、フォントを真似して書いてみるとか、デザイン的要素のあることがすごく好きだった。好きなことを体系的に学べたら楽しいだろうなぁ〜という気持ちがあった。
でもデザイナーになりたいとは恥ずかしくて言えず、ここまできてしまった。だって自分のセンスに自信満々みたいで、なんだか。
だからずっと忘れていた。
でも私にも自信満々な時期があったようで、父親やお世話になった親戚にそういう話をしていたらしい。全く覚えてないが。だから最近「町のはデザイナーになりたいって言ってたけど、やらないの?」って聞かれたことがあった。というか「町のはデザイナーになりたいんだって」って親戚中に話してくれちゃってたらしい。恥ず
それはさておき、やりたかったことを勉強するって、ただひたすらに楽しい。難しいけど、憧れが憧れのまんまでいてくれることってありがたいよね。(実際に仕事してみたら違うかもだけどさ)
申し込んだばかりのときは勉強が続くか不安だった。杞憂だった。計画が狂っても途中で修正できてる。大人になったね。
今回の受講は、知識欲を満たすためと、向いてるかどうかを見極めるという側面もあった。
まだ初めてやっと1ヶ月だけど、思ったとおりというか思ったよりもやっていけそう。ついに「デザイナーを目指してる」と言う時がきたんだ。恥ずかしがってる場合じゃない。
今の仕事も楽しいから、デザイナー一本ではやらないかもしれない。わかんない。
武器が増えるって、かねてから私が望んできたことだ。けっきょくいつも、「強くなりたい」。圧倒的な自信のなさからくる、渇望なのかもしれない。
ふと自分の来た道を振り返ってみれば、ここまでウジウジと紆余曲折してしたことは無駄じゃなかったと断言できる。2回の転職も良い経験だった。
今、オンオフどっちも充実してる。こんなに幸せなことない。大事にしたいものがたくさんあるの。
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デザイナーいいなぁ〜と思ってる私。
久々に研修に参加した。
研修に出ていろんな考えの人と接すると「こうしたらいいのに」「私もこうなりたい」いろんな思いが浮かぶ。
あ、最近強く思ってる、「こうなりたい」ってのが一つだけある。
みやすい製作物が作れる人になりたい。
みやすいものを作れる=デザインスキルがある×思いやりがある×言語能力がある
ってことじゃない?
片鱗はある気がする。だから希望はある。って結局デザイナーになりたいんじゃんね。
今日講師の人を見てて、現場での経験年数は関係ないんだなって思った。密度だな。もっと頑張ろう。
色々ライフイベントは控えてるけど、絶対仕事はしていたい。
結局は活躍したいとか褒められたいとかそう言う動機に尽きるかも。だってもう私生活ではそんなに「自分だけをみて!」はできないから。でも仕事で褒められるように頑張れば、普通に役に立つ人材だから。仕事でしか得られないものがある。
幸いにも夫は家に入って欲しいなんて1ミリも思わないような人なので、それうまく使っちゃおうと思ってる。
もちろん、結婚したくらいだし、家庭は大事。なにかあれば家庭を優先するけど、それはそれ。
お互いに家庭の外でも、1人でも明るく生きられたら素敵だよな。
夫が教えてくれた茨木のり子の「一人は賑やか」という詩がとってもしっくりきたのでここにも引用しておこうと思う。
一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな森だよ
夢がぱちぱち はぜてくる
よからぬ思いも 湧いてくる
エーデルワイスも 毒の茸も
一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな海だよ
水平線もかたむいて
荒れに荒れっちまう夜もある
なぎの日生まれる馬鹿貝もある
一人でいるのは賑やかだ
誓って負け惜しみなんかじゃない
一人でいるとき淋しいやつが
二人寄ったら なお淋しい
おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと 堕落だな
恋人よ
まだどこにいるのかもわからない 君
一人でいるとき 一番賑やかなヤツで
あってくれ
【茨木のり子】「一人は賑やか」一人でいるのは 賑やかだ 賑やかな賑やかな森だよ 夢がぱちぱち はぜてくる よからぬ思いも|OiOi Heart