今日は急に寒くなったことがトリガーになって、
懐かしいこと、悲しかったことを思い出してジャンジャン泣いた。
最近リリースされたルセラフィムのアンチフラジャイルというミニアルバム。これを聞くとやけにおすすめ音楽が4wallsになる。
改めてアンバーのインタビュー動画やアイユちゃんのステージとかみてしまったけど、あまりにも悲しい。
さいきん、尊厳死のことを考える。尊厳死だけじゃなく、死の間際のことを。
死の間際は自分の意思でものを決めることができない。それまではいつ死んでもいいなんて言いながら、いざ本当はやっぱり生きたいと思っても、しゃべれないから伝えられない。そうすると家族に決められてしまう。家族が「延命治療しなくていいです」と言ったらそれでおしまい 頑張ったからもうしょうがないよって…そりゃ一つの事実はそうなのかもしれないけど、なんだか、納得できないものがある。延命治療をしたらしたで苦しいのかもしれない。苦しみから解放させてあげたいって、それで死なせるの?命を奪うことにはならないの?
倫理と医療…。
さて自分はどうかなと、
できるだけ長く長く生きたい。喋れなくなってもきっと、脳内でこうやって文章を考えてすごすんだと思う。夢を見て。いろんなことを見たり聞いたりしたいよ。
苦しみたくはない…けど…生きるってことそのものが、いったい何なんだろうとなってくるよね。健康でいたって苦しい時は苦しいんだから。死んだからって解決することもない気がする。
死生観に正解はないんだけど、この2年間だけで、これまでの人生とは比べ物にならないほどたくさん立ち会って、考えが少しずつ変わってきた。
いつ死ぬとも分からないから後悔しないように、と心の底から思うよ。元気に日々生きてると、死ぬことを考えてらんないのも事実。全てに優しくはできない日もある。
終わりは大事だ。覚えてられるのはピークとエンドだけなんだ。エンドを良くするには、ピークも大切なんだけど、毎日良さを重ねていくことも必要なんじゃないかって、思うんだよ。