下書きにあった、2020年に見たものの感想。
限局性激痛
「いままでで一番よかった展覧会ってなに?」
いちばんに挙げるのはソフィカルの限局性激痛。
原美術館、これを観るためにはじめて赴いたけれど、とっても素敵な建物なのよう・・・。もとは邸宅だったそうですね。2020年いっぱいでなくなってしまうのとてもさみしい。
これをみてから、同じように「悲しみを人に話す」ということを"意識して"やってみることが多くなり、じぶんに取り込めた感覚がある。影響されやすいけどすぐに忘れるから、こんなに心に残るなんてめったにない。
前情報ゼロで観に行ったから、はじめよくわからなかった。だんだん訳が分かってきて、かなしい結末に向かって行き、「ああこれは、きっと人がきいても『かわいそうに』のひとことで済んでしまうんだろうな」と一緒になって悲しくなった。いつも共感や同情のことを思うけれど、自分が悲しいことを経験したことがなければ他者のかなしみをおもんぱかることってできなくない?できるの?あ、でも、悲しさ未経験の人はいないか。
ソフィカルが知らない人に悲しい話をしていく時系列で、一番最後の人に話したときははまるで他人の話のように話していておどろいた。消えていくんだね。
たとえば誰にも言えない秘密を抱えているときも、めちゃくちゃ苦しく感じるのはなんでだろう。だから日記じゃなくてSNSに言いたくなるんだね。受容されることってすごく楽になるらしい。人間っておもしろ。やばルークみたいなこと言っちゃった🍎
楽しかった展覧会はデザインあ展。2013年のも、2018年のもの両方。
おしゃれして、美術館に行って刺激されたものをこうやって日記に吐き出すのがたのしい。
奈良で観た、地獄の展覧会も面白かった。興福寺が閉まっていて行き場のない私を受け入れてくれたんや・・・。
窓展
最近のヒットは窓展。運よく担当学芸員さんのギャラリートークを聞くことができとっても楽しかった。絵画を窓と見立てたところから始まる、こじらせた根深い歴史・・・。□をみると、窓に見える。いわれてみればたしかにそうだ~。
ふと、心が動いたらいっぱい絵を描こうって思った。大きくたくさん一生懸命にかこうって。みたままをつたえられるのが絵だから。それにデッサンや模写をしてみると気づくことがいっぱいある。
窓展の一番最初(最後でもある)に窓がいっぱいあるおうちの模型があった。中に入ると、安心感がある。野ざらしの屋外なのに。窓の内側から外を見ると、「私は安全なところにいる」という錯覚に陥る。あんなに窓があって、穴ぼこだらけなのに、へんなの。
窓にまつわる景色は二つあって、建物の内側から外の景色を見るときと、建物の外から窓の中をのぞくまたは窓から覗いている人を見るとき。前者は「見ている」ことが多くて、後者を描くときは「見られている」。でも私たちが絵画を見るときは、おおむね前者。絵はここではない外の世界。わたしたちが立っているここはいつも内側。深淵じゃないけど、わたしたちもまた、絵の中にいるのにな。ふしぎだ。客観性をもつことってなかなかできないな。
🐘ちゃんのだいすきなところはいっぱいあるけど、美術館博物館にいくのを面白がってくれるところ。感想のボキャブラリーが豊富だから、話していてとても楽しい。たのしい・・・。すき・・・。
人神自然
単純なことではないのかもしれないけれど、紀元前に作られたかなり精巧な像をみて、どうして同じ時代に生まれたのに、そんなに人を捉えて形にできる力があるのか?不思議で仕方がなかった。洋ものたち。写実的なのが必ずしも芸術の評価ではないだろうけど、つくれるってとこ、すごい。欧米周辺中央アジアすごい。東洋どうした?仏像もちろん好きだけども。
若冲と蕪村という展覧会が昔あって、それも印象深い。