部屋がきれい

ここはわたしのシェルター。萌えを探求するブログです。日々について。部屋はきれいじゃないです。

いつでもいいところを見たい

いろんな後輩がいる。

なんだかやりづらい(いつも悪いところばかり目につく)2人と一緒のシフトだった。

いつもどこか抜けてて大雑把で鈍感でふてぶてしさもあるけどそれはメンタルの弱さの裏返し。非常にやりにくい。注意もしにくい。

 

ふいに、とあることを思い出した。SNSで流れてきた子育て情報。「片付けられない子を責めてはいけない。性格だからなおらない。むしろせめると良いところまでなくなってしまう。そういう子はやさしくておおらかないい子に育つ」と。

これじゃん。

実際に今日はあたふたする事件がいくつもあったけど、ふたりの短所が長所に変わった。大らかで、動じなくて、わたしは救われた。

 

そりゃ注意しなきゃいけないときもあるんだけど。2人のいいところを見て、2人を信じようと思った。疑って先回りしてもなんにもならない。

素直な2人だからなぁ。憎めないっていうか。

 

まあなんかこんだけ何十人も働いてれば千差万別だなぁと。それぞれ短所があり、長所があり、みんなが補い、補われているんだなぁと思う

わたしもほんとにしょっちゅう忘れ物をするので、なるべく全部書くようにはしてるけどそれでも咄嗟に言われると書く暇もなく忘れることもある。それを指摘してもらえることはありがたい。

たまたま経験しないでここまできちゃった重大なこともたくさんある。

自分の良心が、きっと私を律してくれると信じて、毎日やっていくしかない。

 

最近また仕事への向き合い方が変わった。良い方向ね。

「この人が自分だったら」は最近常々考えていた。でも今日は急に「この人が家族だったら」と思った。仕事する上で最も重要な観点の一つだったけどどうにもしっくりこなかった。

お父さんが、自分の目の届かないところで辛くあたられてたら、悲しい。妹たちならなおさらつらい。苦しい時にほっとかれてたら、憤り。

 

 

夜中にふと、自分の子供に障害があったら、ということが頭に浮かんだ。可能性大有りの話なのにちっとも考えてこなかった。

三浦しをんの短編集を読んだからかもしれない。直接そういう話では無いけれど、家族への愛情の話だったから。それが無意識に、昼間見たYouTubeと結びついて「もしも」を考えてしまったんだと思う。

私の子供。どんなふうでも、なにがあっても、幸せにしてあげたい。守りたい。

同じく短編集にこんな言葉があった。「夫婦は永遠に他人。でも他人だからこそ結婚できる。」夫とは血が繋がることはない。だけど、だからこそ絆が生まれるんだと思う。

夫婦という営みは不思議だな🙄